おいしい台所

ほどほど家事で、おいしい暮らしを。きょうも台所にいます。

かーちゃんの「こころ」

何の気なしにめくった「金子みすゞ童話集」で、ふとこの詩に目が留まりました。

 
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「こころ」  金子みすゞ
 
おかあさまは
おとなで大きいけれど、
おかあさまの
おこころはちいさい。
 
だって、おかあさまはいいました。
ちいさいわたしでいっぱいだって。
 
わたしは子どもで
ちいさいけれど
ちいさいわたしの
こころは大きい。
 
だって、大きいおかあさまで、
まだいっぱいにならないで、
いろんなことをおもうから。
 
 
 
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この本は4~5年前に、そもそも子ども達に読んであげるつもりで買ったものです。買って始めのうちは寝る前に読み聞かせていましたが、そのうち子ども達も漫画のほうが面白くなり、読み聞かせも必要なくなり、なんとなく本棚にしまわれたままになって、私も忘れてしまっていました。
 
 
先日、本棚の整理をしていたときに、ぱらりとめくってこの詩を読んだら胸に響いてしまい、何度も何度も読み返してしまったのです。こんなに「子育て」「親と子」の本質を、短い言葉であらわしている詩はないなと思いました。
 
 
そう、子どもはいつまでも子どもなのじゃなく、大人になります。全てを親に委ねていた赤ちゃんの頃から物心ついたとき。もっと大きくなって親離れをするとき。子どもが自分と親を別々に見始めるその時の様子を、親と子それぞれの「こころ」の大きさという表現で、なんだか切ない位あらわしている。そうだよ、親ってそうなのよ。子どもってそうなのよと思いました。
 
 
何故この詩が心に留まったかというと、うちの5年生の娘がそろそろ思春期に差し掛かるからだと思います。少しずつ自分の世界を持ち始め、自分一人で大丈夫、かーちゃんはあっちへ行っていて、ということも増えてきました。娘はこれから先も色んなことをどんどん吸収して、大人になっていく。でも親にとっては子どもはいつまでも子どもで、いつまでも心の中心で、一番で、きっとそれはおばあちゃんになっても変わらないんだろうと思います。
 
 
ああそうか。
母から見た私もそうだし、私から見た母も同じなんだな。
 
 
 
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この間、息子の誕生日でした。息子が「チョコレートのケーキが食べたい」というので、会社の帰りにTOPSのチョコレートケーキを買って帰り、夕食後にケーキにロウソクを差して火をつけました。
 
でもね、私が「ハッピバースデー トゥー ユー ♪」と手を叩いて歌っても、子ども達はもう歌ってくれないんですね、恥ずかしくて(笑)多分どこかで「歌わなくていいよ、もう小さな子どもじゃないんだから」と思ってる。
 
 
でもね、歌ってあげたいのよかーちゃんは。あなたたちが生まれてきてくれた大切な大切な日には。
 
 
「かーちゃん、もういいから。しなくていいから。」って思われることが、これからきっと増えてくるんだろうと思います。色んなことをちょっとずつしなくなるんだと思います。でも、うるさいなーと思われても、私はあなたたちを気に掛けることは止めないし、出来れば誕生日の「ハッピバースデー」の歌はもうちょっと歌わせてほしい。
 

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かーちゃんの「こころ」も、すっかりちいさくなっちゃったのかもしれないね(笑)
 
 
 
 
 

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