おいしい台所

ほどほど家事で、おいしい暮らしを。きょうも台所にいます。

寄付をするということ

Xmasに。ちょっと頭の中を整理するつもりで書きます。

興味のない方にはごめんなさい。

 

私は5年くらい前から、毎月ある団体に寄付をしています。

子育てに関する社会問題の解決のために活動している団体で、私は毎月いくらかを口座から引き落とすかたちで寄付を続けています。

 
こういった形の寄付は確実に相手に届くけれども自分が寄付をしているという実感が薄れやすい。自分のお財布を開けて寄付箱にお金をチャリンと入れたり、銀行から直接送金したりすれば手元からお金がなくなるのが見えるので自分は寄付をしたという実感も沸きますが、引落しの場合はいつの間にか、他の支払いなども一緒になくなっています。なんとなく寄付していることを忘れがちです。

 
先日、その団体の事業説明会が開かれるという案内が届きました。寄付についてそんなことを考えていた時だったので、寄付しているということを実感するいい機会だと思い参加してきました。事業に取り組んでいる社員の皆さんの説明は、私たちが寄付したお金がどれだけの人たちを助けたのか、どのように社会を変えたのかとてもよくわかったし、実際に寄付を受けている方のメッセージなどはとても心に響きました。寄付というのは本当に意義あることなのだとよくわかりました。


でも、ちょっと考えてしまった・・。

 

それらの実現は、私のちょびっとの寄付だけで出来ているわけではもちろんない。たくさんの寄付が集まって大きなお金が動いているから出来ていることであって、私のちょびっとの寄付などそんな感謝を受けるほどのことではない。もっと企業などの大きな寄付が感謝されるべきなのであって、自分はそこまでのことは出来ていないじゃないかと、その場にいるのがちょっと恥ずかしくなってしまった。つまり、聞いたところでやっぱり実感としては薄いし、逆に自分がしている寄付と、寄付をもとに社会問題を解決する仕事をしている人たちとの間には一線があるなと思ってしまいました。


で、思ったんです。


寄付というものは、その団体の思いに共感してお金や物資を寄付したら、そこで終わっていいのかも。お金はその団体に「全て預ける、任せるよ」で終わっていいのかも、と。その団体の思いに共感出来なければ寄付するのをやめればいいし、逆に「こんなことも始めるのか。すごいぞ」と思ったらもっと寄付すればいい。つまり、団体の思いに寄付すればいいのであって、その後何を実現したかをしみじみ私が実感する必要などないんじゃないかなって。「実現したの、すごいね。この団体に寄付してよかったな」ってそう思えればいいんじゃないのって思ったのです。

 
そう思ったら、なんだかさっぱりしました。
 

寄付ってもっとラフでいい。その団体のあれやこれや調べて使い道を調べて・・とかそんな七面倒なことしなくて、もっと気軽に、自分が出来ないことをしてくれるその団体に、「頑張って」という思いですればそれでいいのだと思う。金額は自分で決めればいいことであって、大きい小さいも関係ない。ああそうなんだなぁと腹に落ちた感じです。

 
寄付ってそんなふうに、あれこれ小難しく考えなければ、もっと広まるのかなぁと思う。

 

 

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先日、会社の忘年会に向かう途中で東京タワーの近くを通りました。

下から見上げる東京タワーは怖いくらいにきれいで、周囲のXmasのイルミネーションを圧倒してた。

 


こんなの、子ども達が見たらびっくりするだろうなぁ。

それからきっと満面の笑みになるだろうなぁ。

 

そう思ったら、自分の子ども達だけではなくて、全部の子ども達がそうであってほしいなと思いました。きれいなものや、圧倒されるものを見て、笑顔になったり、感激したり、みんなが素直にそんなふうに出来るといいなって。 

 

だから私は、子ども達の笑顔のために、カッコつけだと言われようが何と言われようが、働いている限り、これからも寄付を続けていこうと思う。

 

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誰に言う必要もないのですが、自分の中の小さな決意として。

Xmasの日に。 

 

 

 

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