おいしい台所

ほどほど家事で、おいしい暮らしを。きょうも台所にいます。

一生懸命、生きる

最近の私のお楽しみは、撮りためたドラマを休みの前の日の深夜にまとめて見ることです。子どもが小さい頃はそんな時間すら持てないほど時間的にも精神的にも余裕がなかったのですが、最近は少しずつそんな時間も増えてきました。
 
ドラマの良いところは、没頭して見てしまうとストレス解消になること。もちろん作り話とわかって見ているのですが、ドラマの中でも社会問題を扱っていたり、親子の話だったり、感情移入してしまうものも結構あって、そんなドラマを集中して見たあとは何だかスッキリしていることがよくあります。
 
そんな私が最近泣いてしまったのがこのドラマ。
 
「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」
 
ええ、あれです。いわゆる月9(笑)
 
 
このドラマ、田舎から都会に出てきた純粋な若者たちの恋愛と仕事と生き方を描いていて、見ていて懐かしいような、自分が見失ってしまったものに気付かされるような、切ないけど温かい気持ちになるドラマです。有村架純演じる「音」と高良健吾演じる「練」のすれ違いながらもまっすぐな恋愛がとても良く、おばちゃんは毎回ハラハラ、キュンキュンしながら見ています(笑)
 
そんなドラマの中で、先日、音が練に、練のおじいちゃんが亡くなったときに持っていたレシートの束を読み上げる、というシーンがありました。詳細は割愛しますが、練は一人さびしくおじいちゃんを死なせてしまったことにものすごく後悔していました。練は読み上げられる「蒸しパン」「大根の種」「酒」というおじいちゃんが買ったものを聞きながら、亡くなったおじいちゃんは寂しいだけじゃなかった、前を向いて、生きることを楽しんでいたこともあったのだと涙が止まらなくなります。
 
私はこの場面を見ながら、練と同じくらい泣いてました。
わかるなぁって思いながら。
父が亡くなった時のことを思い出していました。
 
 
父が亡くなったとき、胸が張り裂けそうに辛かったのは、父が「生きる」ために準備していたものを見ることでした。
例えば入院中のコップや歯ブラシ。着替え。時計。メガネ。仕事のメモ。歯磨きは明日も明後日もご飯を食べるため。服は退院する時のため。メモは会社に行ってからの仕事のため。そんなふうにずっと先まで生きることを疑わなかった父のものを見ることが辛くて辛くて仕方なかった。どんなに大変でも日々きちんと暮らし生きることに一生懸命だった父を思うと、切なかった。遺品の整理はしばらく出来なかったです。
 
 
でも、このドラマと同じように、亡くなった人が「生きることに一生懸命だった」というのは、残された人たちにとっては救われることなんですよね。だからその証を見ることはどんなに辛くても乗り越えなければならないことなんだと思います。ドラマの中でも、これをきっかけに練も立ち直っていきます。私も、時間はかかりましたがそんな父の姿が今は自分の力になっていると思っています。
 
 
ドラマを見た後父のことをしばらく考えていて、どうしてこんなに思い出しちゃったかなぁと不思議に思ったのですが、そうか、お彼岸が近いんですね。
 
父が亡くなって15年ちかく経ち、子ども達も大きくなりました。お彼岸やお盆のたびに、父は今の私たちを、どういうふうに見ているかなぁと想像します。父が笑顔で見守ることが出来るように、私たちも日々笑顔で、生きることに一生懸命でありたいなぁと。
 
 
そう思う3月、深夜です。
 
 
 

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