おいしい台所

ほどほど家事で、おいしい暮らしを。きょうも台所にいます。

母になった日

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今日は娘の11歳の誕生日です。
赤ちゃんの頃から人一倍人見知りと場所見知りをする子で、いつでもどこへ行っても私の傍から離れなかった娘が、小学5年生になりました。
 
最近は親の居ないところで遊ぶことが楽しくなって、誕生日の今日はお友達と一緒にサーティーワンマクドナルドに行くのだと何日も前から嬉しそうに話していました。お友達と会えたかな?ちゃんと楽しめているかな?と仕事をしながらの私の心配は杞憂だったようで、帰宅後は「マックでポテト食べてシェイクを飲んだ」とか、「公園へ行った後で駄菓子屋へ行ってお菓子を食べた」と話してくれました(食べ過ぎだろ(笑))
 
 
娘は春というより初夏の日差しがいっぱいの4月の終わりに、実家の近くの病院で生まれました。自己主張が激しいくせに注目されるのが嫌いという性格は赤ちゃんの頃からのことで、いつもいつも「なんとかしてくれ」と目一杯に泣く子でした。ねむい、おなかがすいた、あそぶ、あきた、、、泣いてぐずぐずするたびに抱っこしておんぶした赤ちゃんの頃。そして、それは11歳になった今も全く同じです(笑)眠ければぐずるし、お腹がすけばイライラするし、暇だー相手してくれーと言ってくることもしょっちゅうで、体が大きくなっても生意気なことを言うようになっても中身はちっとも変わらないのだなと、そんな娘を見ていると思います。
 
 
娘が生まれた翌日。病室でもぎゃんぎゃんと泣き続ける娘を前に思うように母乳が出ず、娘は脱水症状を起こして高熱を出しました。陣痛が始まった時からほとんど寝ておらず、産後はすぐ同室で疲労もピークだった私は、ショックのあまり夜中にパニックになりました。
 
髪はボサボサ、泣きながら娘を抱いて、夜中に助産師さんのところへ行き、ワンワン泣きました。どうしたらいいかわからない、どうしても泣き止まない、母乳が出ないから熱を出させてしまった・・そんなことを言ったような気がします。助産師さんはゆっくり話を聞いてくれ、落ち着くまで少しミルクを足そうかと優しく言ってくれました。この数日後に自分でもびっくりする程母乳が出るようになり、それとともに娘のぎゃん泣きも落ち着いてくるのですが、今考えても自分の中であれだけのストレスを経験したのは初めてで、自分でも怖いくらいパニックでした。
 
 
 
子どもを産んだらお母さんに「なる」けれど、すぐにお母さんが「出来る」わけではない。退院した後も実家の母や夫と喧嘩したり、泣いたり笑ったりすったもんだしながら、ただ必死で子ども達を守ることだけを考え、日々を重ねて来ました。子ども達から教わることもたくさんあったし、ただ楽しませてもらっている気がすることもあるし、「母親らしい」とはどんなことなのかもいまだにわかりません。
 
でも、そんな日々を重ねることが「母親」なんだとしたら、どうにかこうにか11年頑張ってこれたのかなと思います。
 
少なくとも、助産師さんに助けてくださいと泣きついたあの時の私に、「大丈夫。心配しなくても、ちゃんと子どもは育つから。ちゃんとあなたもお母さんになれるから」と言ってあげられる程度の余裕は出てきたかな、と。
 
 
 
夕食後ケーキを食べた後で、昔撮ったビデオをみんなで観て大笑いしました。
 
夫も私も声だけ。カメラの向こうでは満面の笑みの子ども達。
頑張ってたな私。頑張ってるよね今も。
こんな笑顔されたら、頑張らずにいられないよね。
 
 
娘よお誕生日おめでとう。
 
 
お母さんも11歳。

共に歩むことしか出来ないお母さんだけど、これからもどうぞよろしくね。
 

 
 

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