おいしい台所

ほどほど家事で、おいしい暮らしを。きょうも台所にいます。

台所の原風景

小学校3年生まで住んだのは、平屋の家でした。6畳2部屋に台所。玄関を入り、2つの部屋を通り過ぎて台所は一番奥にあり、台所の隣にお風呂とトイレがありました。家族の行き来が常にあった台所には大きな窓があり、奥の勝手口にもはめ込まれた窓があって、台所は家の中で一番明るい場所でした。曇りガラスのその窓は通りに面していて、八百屋さんのトラックも、お豆腐屋さんも、おでんの屋台も、焼き芋やさんも、来ればすぐにわかりました。

 

「ほら、おでん買っておいで」と母からお小遣いをもらって外に出ると、近所のゆみちゃんやあゆみちゃんがビニール袋に入ったおでんをもう買って食べていて、私もちくわぶやたまごやこんにゃくを買い、袋を片手にそのまま遊びに行きました。

 

日暮れまで遊んで家に帰ると台所には灯りがついていて、窓からしてくるのが魚を焼くにおいだと「ああ、今日は魚か・・」とがっかりし、カレーのにおいだと「やった!」とガッツポーズ。家に入るとまずは台所に行き、手を洗って冷蔵庫を開け麦茶を飲んで、台所の椅子に座ってテレビと母の後ろ姿を交互に眺めていました。

 

 


昭和53年くらい。近所には平屋の似たような家がたくさんありました。どの家の台所にも顔を上げた位置に窓があり、温かな台所があり、夕暮れ時にはあちこちの家から美味しそうなにおいがしてきて、子ども達は外でたくさん遊んでお腹が空けば家に帰りました。

 


私の台所の原風景は、あの頃住んでいた平屋の小さな家の、大きな窓があるあの台所なのです。

 

 

 

「ハレタル」に掲載いただいた最新の記事は、台所がテーマの後半の記事。今回は、今の家を建てるときにこだわった、台所の窓と作業台についてのお話です。

 

haretal.jp


自分がどうしてこんなにも台所が好きで、どうして窓にこだわったのかなと、今回書いた記事を改めて読みながら考えました。そのときふと浮かんできたのが、生まれてから3年生まで住んだ小さな平屋の家の台所でした。

 

 

あの明るい台所は間違いなく家の中心で、家族みんなが台所から出掛けて行き、台所に帰ってきていました。まわりの家同士支え合いながら、つましく暮らしていたあの頃。懐かしい日々を思い出し、今はもう戻れないあの台所をなんとか再現したくて、無意識に自分の台所を作っているのかもしれない。そう思ったのです。

 

 

 

写真も残っておらず、記憶の中だけに残る台所の原風景。どこかに似ている台所がないかなとぱらぱらと昔の雑誌を探してみたら、近いものがありました。

 

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※2008年の天然生活別冊号から。

 


そう、木枠の窓に、小さな換気扇。あちこちごちゃごちゃしていたし、お世辞にもぴかぴかな台所じゃなかった。でも明るく、おいしいものが生まれる台所だった。

 

 

 

台所しごとは続きます。人が生きている限り、世界中の台所で。延々と。

 

私の大好きな台所が、家族にとって「いつも明るかったあの場所」になりますように。子ども達の記憶に残る温かい台所になりますように。

 


母ちゃんは今日も一生懸命、ごはんを作ります。

 

 

 

 

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