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過ぎ去った今だから言えることだが、カレーばかりだった夕飯も、パンとウィンナーばかりだった朝ご飯も、子どもの心と体をちゃんと育ててくれた。今年小学6年生になる娘が私に言ったことがある。「小さい頃、父ちゃんがいない夜はいっつもカレーだったよね」と。いたずらっぽく、嬉しそうに。
そのとき思った。そんな日々もきっと、子どもたちの心には楽しかったごはんの記憶として残っているのだ。必死で台所に立ち続けた母を、子どもたちはちゃんと見てくれていたのだ。
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「台所と子育てについての記事を書きませんか?」と、ハレタル編集部の方に声を掛けていただきました。上記は記事から一部抜粋したものです。
ハレタルのコンセプトに合うということ、chasさんの今の思いを是非書いてほしいと言ってくださり、内容は過去のブログ記事を参考にした部分もありますが、今回ほぼ書き下ろしました。このブログをはじめたきっかけとなる想いでもあるので、自分が伝えたいことを、真摯に、丁寧に書いたつもりです。台所をもつ全ての女性に。そして今、子育て中のお母さんに。たくさんの方に読んでいただけるととても嬉しいです。
時々、台所に立つのも嫌になることがあります。
仕事でものすごく嫌なことがあって、頭から離れなくて、イライラして帰ってきたとき、どうしてこんな気分なのにご飯を作らなければならないんだろうと思ったことがありました。ごはんを作るのも嫌。何もかも嫌。でも、家族には関係ないから、お腹を空かせて待っている子ども達に、ごはんは作らなくちゃならない。どうして私ばっかり。どうして・・・そう思いながらお米をとぎ、にんじんの千切りをはじめました。
そうしたら、千切りを終える頃には、いつの間にかイライラがなくなっていました。「まぁいっか。みんなでごはんを食べられれば。」そう思ったら嫌で仕方なかった仕事のことなどどうでも良く思えていました。実はそんなことが、何度もありました。
ごはんを作ること。人間にとってそれは、生きる力を作ることです。つまりすごく前向きな行為です。そんな前向きなことをしているのだから、嫌なことなんてどうでもよくなってしまうのは当たり前なのかもしれません。
さあ、とにかくごはんを食べよう。そうしてごはんを食べて笑顔が戻ったとき、私は台所しごとに、本当に救われているなぁと思います。
嫌なことがあっても、悲しいことがあっても、お腹は空きます。それは体からの「何があっても、生きなさい」という合図です。生きる力を育む「ごはん作り」は本当に尊いしごと。だって人間はごはんを食べなきゃ生きていけない。食べることは生きることなのだから。
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